1/27/2013
東京家族
17:30福岡空港発のANA264便で帰京。
今までだと16:00発の260便に乗るのが普通だったのだが、この便は787を使用する便になっていて今回の影響で欠航となったので後の便に変更した。
昼からユナイテッドシネマキャナルシティ13で「東京家族」を見る。基本的には小津安二郎の「東京物語」と同じプロット、ストーリー展開で、有名な「ええほうですよ」「ええほうかね」のセリフなんかはそのまま使われている。しかしまったくそのまんまというわけではなく、最も大きい違いは妻夫木聡演じる次男昌次が生きていることだろう(「東京物語」では次男は戦死していて、未亡人の原節子演ずる紀子が老父母の笠智衆と東山千栄子の世話をする)。また、細かい違いとしては「東京物語」では老父母は熱海に行くのだが、「東京家族」では横浜になっている(ちなみにこのエピソードではみなとみらいのインターコンチネンタルに泊まるのだが、部屋の外で外人が大きな声で騒いでいて寝られないというシーンがあるのだが、インターコンチネンタルとしてはこういうイメージつけられて大丈夫かと少し心配になった。これは「東京物語」で熱海の旅館で宴会場がやかましくて寝られないというエピソードが元ネタ)。
映画館は年齢層が高く、後半吉行和子演ずる母親が死んでからは泣いている人も多かった。
1/26/2013
さよならドビュッシー
昼からユナイテッドシネマキャナルシティ13で「さよならドビュッシー」を見る。
「さよならドビュッシー」は基本はミステリーなのだが、感動もはいっているためちょっとややこしい。最後でのどんでん返しのために前半がかなり無理のある展開になっている。ふつうはここが気になって仕方ない。橋本愛は「桐島、部活やめるってよ」に続きいい演技だったが。
映画の後、中洲川端の中州ぜんざいを食べる。
1/25/2013
政府専用機
9:00発のANA245便で福岡へ。
きょうは初めてD滑走路(RWY23)に着陸しているのを見た。D滑走路は離陸専用だと思い込んでいたので少しびっくりした。当然離陸はD滑走路は使用せず、A滑走路とC滑走路を使用していた。また、通常西行きの便はD滑走路かA滑走路を使用するのだが、今日は珍しくC滑走路からの離陸だった。
C滑走路へのタキシング中にきょうアルジェリアから帰ってきた政府専用機が駐機していた。アルジェリアに行ったのは一機だけのはずだが、万が一のためなのかもう一機の政府専用機も並んで駐機していた。政府専用機が二機並んでいるのはなかなかレアな光景だった。
1/24/2013
平成24年度源泉徴収票
平成24年度源泉徴収票
支払金額 9,950,000
源泉徴収税額 790,300
社会保険料 1,170,635
支給額は去年より8万円増えて税金は5,000円安くなっているが社会保険料が
10万円増えているので結局手取りは減ったことになる。
夢の遊眠社「小指の思い出」の後半で野田秀樹演ずる粕羽聖子が磔になり独白するシーンがある。
妄想の息子たち(八月、六月、正月)がストーブに薪をくべているのだが、その薪が自分の母親を火あぶりにしているとは知らないで彼らは嬉々として薪をくべている。いや本当に知らないのか?実は何もかも知っていて嬉々としてくべているのではないか? まさに子どもの無邪気さで彼らは残酷なことをやっているのではないか? そう独白する。
今回の桜宮高校の在校生や卒業生の「声」を聞いていてこの場面を思い出した。
おそらく彼らは本心から件の顧問教諭の体罰を悪くないと思っている。だからこそ、「体罰も時には必要だ」「体罰によって強くなった」「感謝している」と世間に訴えることで、この教諭に問題はなかったことを認めさせられると思っている。そう、粕羽聖子の息子たちがストーブに薪をくべるように無邪気に。しかしそう言いつのるほど、彼らがいかに体罰を受け入れそれに「依存」しているのかということを知らしめることになる。「先生は悪くない。体罰は必要なんです!」桜宮高校の生徒の一人一人がそう言うことで、教諭の罪が重くなり、学校全体がダメだという評価になっていくことに気づいていない。
もしほんとうに自分たちのこと学校のことだけを考えるならば戦略は真逆であるべきだった。つまり、「体罰はいけない」「あの教諭一人が勝手にやっていたこと」「みんな問題視していたが教諭が暴走した」こう言えば、すべての責任は教諭個人の責任となり、学校や生徒はその罪を免れたかもしれない。しかし、生徒も含めた学校全体で「やはり体罰は必要だ」という態度を貫くのであれば、一個人の問題ではなく「体質」の問題だという結論になってしまう。
これまでも体罰の問題は何度となく起こってきたが、今回これほど大きな話になっているのは橋下市長のスタンドプレーに呼応するように本来被害者側に立つべき生徒や卒業生が体罰擁護にまわってしまったことも一因だろう。
個々の心情はともかく、体罰は学校法で禁じられているのだから建前上は否定するしかない。それを本音で体罰が必要な側面もある、などといったとして公に認められるわけがない。それを声高に主張すればするほど否定のトーンも高くなる。どう考えたところで体罰は暴力の一種であり現代の先進国で教師が生徒に暴力を振るうことを公に認めることはありえないからだ。
子どもたちは自分たちの「ほんとうの思い」を語れば大人たちだって建前ではなく「本音」で認めてもらえる、と思ったのかもしれない。実際、体罰擁護の発言をしている大人だっているからだ。しかし、そうした発言をしている大人がどういう立場かは見極めるべきだった。体罰擁護の発言をしている大人は結局何の権限も責任もないただの個人として発言しているか、戸塚宏のような「あっち側」の人間だ。教育行政や政治に携わっているまともな人間が生徒への暴力容認の発言などできるはずがないし、もしするとすればそれは大きなペナルティをともなうことを覚悟しなければならない。生徒が体罰は必要という「本音」を語れば語るほどそれは矯正されるべき対象として認識される。橋下市長のよりラディカルな対応が必要という考えに正当性を与える結果になっている。
子どもたちが「体罰は必ずしも悪いことではない」と言いつのることで、社会は体罰をなくすにはどうしたらいいかという対策を真剣に議論するのだとすれば、それは、子どもたちの期待を裏切ることで子どもたちの利益になる(実際体罰を無くすことは子どもたちの利益に他ならない)という屈折した結果になるのかもしれない。
1/04/2013
初詣
2013年になってきょう初めて外に出た。文字通り本当に一歩も外に出ないで寝て食べてテレビ見てという生活だった。
倉敷駅北口の三井アウトレットパークのスターバックスでコーヒーを飲んでから駅前の商店街を抜けて鶴形山の阿智神社で二十数年ぶりの初詣をした。
旭川や奈良は辺鄙なところにしかスターバックスがないのになぜか倉敷は駅前に何軒も集中している。
アウトレットパークに隣接するイトーヨーカドー系のArioにはクリスピー・クリーム・ドーナツやコールド・ストーン・クリーマリー、銀座コージーコーナーなんかもあって、都会のショッピングモールと変わらない。
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