5/30/2016

オバマ大統領広島訪問

オバマ大統領の広島での演説を聞いていて、何か物足りない違和感を感じていた。

その違和感を突き詰めて考えてみて思い当たったのは、季節だった。

原爆、広島、長崎とともに想起されるのは夏の朝の暑さだ。

夏休みに家のテレビで追悼式典の中継を見ていた。これが原爆のイメージだった。そしてもちろん私の世代では、もうひとつの原爆のイメージといえば「はだしのゲン」だ。原爆投下からのさまざまな修羅場が描かれるのもやはり夏の暑さとセットだ。

もしオバマが、8月6日の陽炎がゆらめく朝にあの演説を行なっていたら、演説の印象は大きく変わっていただろう。

今回のオバマの演説は十分に感動的で、現時点でアメリカ大統領が述べるべきことを述べたとは言える。核廃絶や世界平和といった抽象的な言葉だけではなく、そこにふつうの市民の平和な生活があるのだということをイメージさせる言葉で人々の心に語りかけるものだった。しかしやはりそれでも、あの演説ではすでに過ぎ去った過去の悲劇について語っているという印象はぬぐえない。それは確かに原爆のあの日を想起させるには十分ではなかった。

うだるように暑い夏の朝に蝉しぐれの中であの演説が行なわれていたら、それはまさにあの日の広島のひとびとに語りかけるものとなっていただろう。そこでは、時空を超えて被爆者とアメリカ大統領との邂逅が果たされたはずだ。

"Some day the voices of the Hibakusha will no longer be with us to bear witness."

そのときには、あの朝の追悼式典にアメリカ大統領が参列しているだろうか。それとも追悼式典がなくなっているだろうか。

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