8/31/2014

代々木ゼミナール

17:30福岡空港発のANA264便で帰京。

きょうも暑くはない程度の天気。昼過ぎにチェックアウトしてgoogleのIngressというゲームのために福岡の街をウロウロする。

きのうは久しぶりに太宰府天満宮に行ってIngressのポイントをだいぶ稼いだ。

代々木ゼミナールが大規模なリストラをするとのことで話題になっている。代ゼミとの思い出について書いてみようと思う。

私は浪人した時は京都の駿台に行ったので代ゼミに通った経験はない。そもそも昭和60年には代ゼミは京都はおろか大阪にすら校舎がなかった。駿台は京都と大阪にあったが、河合塾は大阪校のみというような状況だった。ただ、全国模試や京大模試のような特定大学向けの模試などは京都市内の専門学校や大学の校舎を借りてやっていた状況だった。

ちなみに当時は駿台の模試は例えば「京大実戦模試」と実戦がつき、河合塾は「京大オープン」とオープンがつき、代ゼミは「京大模試」となにもつかないといったネーミングルールだったと記憶している。

私は現役時代から模試が大好きだったので周囲と比べてもかなり多くの模試を受けていたが、特に京都で予備校生活を始めてからは自転車で気軽に行けるので(現役時代は倉敷から岡山まで電車で行かなければならなかったので結構大変だった)夏以降はほぼ毎週のように各予備校の模試を受験していた(各予備校は模試日程をかぶらないように設定してあったので駿台、河合塾、代ゼミの模試を受けていたらそれで1ヶ月が終わった)。

こういう状況の中で代ゼミとは模試だけの付き合いだったのだが、大阪大学に合格後なぜか代ゼミから模試の採点のアルバイトをしないかという誘いがあった。今となってはどういう連絡手段でその誘いがあったのか思い出せないが、当時は石橋荘の呼び出し電話しかなかったのでおそらくハガキか手紙だったのだろうと思う。昭和61年の段階でもまだ大阪に代ゼミの校舎はなく、準備室といったような名称の事務所が曽根崎警察署の隣のビルの一室にあり、そこに呼び出されて行って国語と社会の採用試験を受けた。一応どちらも合格したが、国語の採点を頼まれて、だいたい月に一度くらいの頻度で模試の採点をしていた。最初は100枚とか200枚程度で普通の大学入試の模試だと一枚百円くらいだった。これを3?5日間くらいで採点して返すというもので、大学生の身としてみれば時間も自由で家でもどこでも作業できる割のいいバイトだった。今だと個人情報とか紛失のリスクとかあってこういう形での採点というのはやっていないのかもしれないが当時はまだおおらかな時代だった。

その後江坂に大阪校ができてからは江坂まで答案用紙を取りに行き、バイトを続けていた。だんだん信用ができてくると京大模試や東大模試のような採点もまかされるようになりこれらは単価が倍くらいになった上に枚数も300枚くらいだったのでかなりまとまった金額をもらえた。

自分の部屋で採点することもあったが、その時の気分によっては石橋駅前のマクドナルドや梅田センタービルのミスタードーナツで採点することも多かった。特に梅田センタービルのミスタードーナツはあまり人がいなかったのとコーヒーのおかわりができたので、たびたび何時間も居続けて採点をした。

この採点のアルバイトはおそらく4年間続けたと思うが、その間紛失とか採点についてのクレームとかいうものも特になく続けられたのでそれなりのレベルではあったのだと思う。

江坂に大阪校ができて初めて行った時は大きい上に豪華な校舎だと思ったものだが、今言われている「代ゼミは予備校がダメになったらホテルとして使えるように駅前に豪華な建物を作っているんだ」というのは当時から噂として言われていた。

代ゼミとはこのように模試の付き合いしかなかったのだが、模試では内側の人間でもあったこともあるので今回のことは少し感慨深いものがある。もう25年も前のことだが代ゼミからは数十万円の報酬をもらっている身なのであった。

0 件のコメント: