ショック! 渋谷陽一暁に死す!
地方の小学生が洋楽を聞くようになったのは1975年ころから始まったラジカセブームとともにだった。ラジカセを買ってもらったのはおそらく小学5年生の時で。ナショナルのSTEREO MAC ST-7だった。この頃はエアチェックと言ってラジオ番組をカセットテープに録音するのが流行っていて、音質にこだわるとAMラジオ番組ではなくFMラジオ番組を録音するのが常識だった。音楽を聴きたければFM、トークならばAMという聞き分けをしていた。
その当時小学生だった自分が聞いていた番組は、NHK-FMでは夕方から始まる軽音楽をあなたに、22時から始まるサウンドストリート、23時15分から始まるクロスオーバーイレブンだった。
サウンドストリートはおそらく当時の音楽好きなら必ず聴いていたであろう番組だが、月曜日が佐野元春、火曜日が坂本龍一、水曜日が甲斐よしひろ、木曜日と金曜日が渋谷陽一だった。と思って調べると実はこの4人が揃っていたことはなく、月曜日は元々松任谷正隆だったり、水曜日は烏丸せつこだったり、木曜日は山下達郎だったりしていたようだ。
とにかくこのサウンドストリートで渋谷陽一を知り、渋谷陽一を通して「産業ロック」という概念やレッドツェッペリンやスコーピオンズ、プリンスなどを知った。また洋楽だけでなくデビューしたばかりの爆風スランプのスタジオライブなどもこのサウンドストリートで聴いた。
今でも忘れられないサウンドストリートの企画で、リスナーに怪獣にまつわる嘘エピソードとそれにちなむ曲を特集した回があった。たとえば、「国立大卒の兄を持つウルトラセブン。国立大に落ち、私大に受かった際の祝いの席に掛かる曲。私大に受かり希望もでるが、国立大を落ちた痛手は隠せはしない。単調な曲調と宴会風手拍子が胸を打つ。」という渋谷陽一の曲紹介でかかるのがスコーピオンズの日本公演で日本語で歌った「荒城の月」といった具合だ。スコーピオンズが片言で歌い上げる荒城の月は切なくこんな曲もあるのかと衝撃を受けた。
https://blog.goo.ne.jp/sdtm-2/e/4a3c1ccd099ef6f79b97cf547f3c2212
この頃の音楽の趣味は結局40年以上たった今でも変わることはなくおそらく死ぬまで忘れないのだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿