きょう踏切事故があった甘木鉄道は去年2月に大刀洗平和記念館に行った時に乗った。何もないところを走る単線であんなところでなんで事故を起こすのか不思議だ。
きのうはユナイテッド・シネマとしまえんでアカデミー賞を受賞した「それでも夜は明ける」を見てきた。ストーリーそのものはふつうで特にあっというような展開があるわけではない。すなわちストーリーが問題なのではなく、今の時期これにアカデミー賞を授与するということ自体がメッセージになっていると考えるべきだろう。そこで特に考えるべきなのはベネディクト・カンバーバッチが演じる最初の奴隷主人となるウィリアム・フォードとブラッド・ピットが演じているカナダ人大工のサミュエル・バスの二人の存在だろう。ウィリアム・フォードは敬虔なキリスト教徒であり奴隷にもやさしいが、それは所詮奴隷制度を肯定した上でのものでしかなく、黒人に対する差別は他の白人と根本的には変わらない。これに対してカナダ人のサミュエル・バスは奴隷制度がアメリカの宿痾であり、やめるべきだとはっきり主張する。どんなに良心的であってもアメリカ人自身では奴隷制度に対する認識は変えることはできない、カナダ人だからこそ根本的な否定をはっきりと口にすることができる。そもそもこの主人公のソロモン・ノーサップにしたところで「自由黒人」という欺瞞的な制度のもとで自由を謳歌していたに過ぎない。自分自身が拉致・誘拐され奴隷身分になるまでは同じ黒人奴隷について見て見ぬふりをしてきたのだ。これにアカデミー賞を出すということは、アメリカが変わるためには外部の力が必要なのだということのメタファーになっている。それはアメリカが自身を相対化するべきだという現在の状況に呼応している。
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